トップページ

宮中の暮らしと女官

明治時代の宮中の女官として、華族出身の十数人と士族出身の高等官待遇十数人がおり
「典侍」「権典侍」「掌侍」「権掌侍」という職掌とランキングを表す官名がありました。
それにそれぞれの源氏名が付き、「早蕨の典侍」(柳原愛子)とか
「柳の掌侍}(小池三千子)というように呼ばれました。

その下のクラスに、「命婦」や「女嬬」という士族出身の判任女官が三十人以上いました。
それぞれ御前掛り、呉服掛り、御道具掛りと職掌が分かれていました。。

さらにその下に、「雑仕」(雑用雇い)や「針女」という女官の世話をする
侍女や下女など数百人がおり宮中は旧江戸城大奥さながらの様相でした。

(庶民にとって女官たちの生活ぶりを垣間見ることもできませんでしたので
錦絵の絵師たちは、ひたすら想像で筆を運ばざるを得なかったそうです。)


画像は許可なく使用しないで下さい。

皇太后宮還御図

  
 橋本周延 明治10年
今様歌舞伎上覧の図       


橋本周延画  明治11年
舞楽之図    

橋本周延 明治11年1月
今様 梅花の粧ひ      

橋本周延   明治11年12月
高貴上覧石橋の図     


橋本周延  明治13年
上野清水より不忍遠景     

安達吟光  明治13年
東京赤坂御苑花菖蒲御遊覧 高尾山遠望之図   


三代目広重 明治13年
東京名所九段坂上靖国神社    


三代目広重  明治13年
当世阿津馬の花賬   

橋本周延   明治14年5月
官女名器縦覧の図

橋本周延画    明治14年
大正天皇幼時/金魚 「今様振園の遊」

橋本周延画     明治15年4月3日
芝公園地丸山御遊覧の図

 二代目国明画  明治13年9月8日
花遊錦乃三曲

二代目貞信画  明治18年
内裡模様雛俤(ごしょもようひなのかもつけ)

歌川豊宣画  明治10年
紅葉御遊覧之図   房種画   1879年

英照皇太后(孝明天皇妃)右いす    昭憲皇太后(明治天皇妃)中央いす
千代田御大奥 茶の湯    

 橋本周延  明治28年
女禮式之図     

 揚州延一    明治23年

橋本(楊州)周延 (ようしゅうちかのぶ)

天保9年~大正元年(1838~1912)

越後生まれで、初めは歌川国芳門人になるが、後に豊原国周のもとに移り、豊原門下の第一人者になる。
周延は、最近とみに研究が進められている明治の浮世絵師です。
彰義隊と共に、上野戦争や函館に渡って五稜郭でも抵抗したという、
一徹な性格とドラマチックな経歴を持っている。
明治になって、その経歴を生かし江戸城内の様子・洋風・宮廷官女・大奥風俗など、
シリーズ物を描いた。

戻る