本名は荒川八十八 1835年〜1900年(天保6年〜明治33年)
豊原周信(とよはら ちかのぶ)と、三代目歌川豊国の弟子で
二人の師匠の名前から一字づついただいて《国周》とした。
非常に大胆な筆使いで、役者絵を始めとして美人画・風景画・源氏絵・団扇絵・双六絵等描いた。
「明治の写楽」と言われ評判になった。
文明開化に伴い、写真芸術の導入等により
伝統的な江戸浮世絵の人気が衰えていった。
彼の私生活も江戸っ子そのもので、「宵越しの銭は持たない」主義で
画料が入ると、すぐに吉原に繰り出し、生活は楽ではなかったようです。
また、奇行も有名で、生涯に引越しを88回、一日に三度も引っ越したことも。
女中を(一説には女房)48回変えたと言われています。
広重・国貞・国芳に隠れていますが
明治時代の三人の代表絵師(国周・芳年・芳幾)に選ばれています
特に、明治の浮世絵師の横綱あるいは写楽といわれ、
実力のある浮世絵師ではないかと思い、私の持っている浮世絵を載せてみました。
下の画像は、摺った年月の分かるものは入れましたが、順不同にアップしています。
画像は許可なく、使用しないでください。
曽我五郎十郎他狐 江戸文久3年(1863年) |
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桃井・師直・頻世・判官 |
坂東彦三郎・三津五郎他 |
五郎・十郎・朝ひな・大磯とら他 |
松栄千代田神徳 明治11年6月10日 |
畠山重忠・景清他 |
沢村納升・坂東彦三郎 |
市川佐団次(三河屋儀平次)・市川団十郎 明治16年 |
田之助の白抱子他 江戸末期(国明画) |
金看板甚五郎他 明治16年(1883年) |
中村芝翫・岩井紫若他 |
鏡獅子 明治20年 |
見立名婦六勇撰 明治17年2月 |
牡丹蝶扇彩 明治11年 |
役者 渡辺綱也 明治16年 |
三国一曙對達染 明治22年5月 |
近世東京之達引 明治時代 |
泰平有名鑑 |
市川佐団次・団十郎他 明治16年9月 |
桃の木(市川義貞・児嶋三郎他) 明治7年(1874年) |
展覧 勧進帳 井上大臣邸にて |
中村紫雀・市川団十郎・嵐瑠寛 明治16年5月15日 |
八重垣姫・勝ふり他 明治21年4月 |
思愛晴関守 明治20年3月 |